「たとえ小さく弱くても」  01.09.09  サムエル上17:31〜49、エフェソ6:10〜11  

 神さまが味方であれば、打ち負かされてしまうことはありません。
イスラエルもダビデもそうでした。そして私たちもそうです。

 少年ダビデは、ペリシテ軍の兵士ゴリアトと一騎打ちで戦うことになりました。
ゴリアトは、イスラエルの王や兵士たちでも、とても勝てそうにない相手でした。
ダビデは、少年であり羊飼いに過ぎません。ゴリアトは、少年ダビデを見て馬鹿にします。
 しかし、ダビデは、そのゴリアトを倒してしまったのです。

 @ これは、ダビデが見かけによらず強かったという話ではありません。
神が味方である。その一点でダビデは巨大な相手に立ち向かい、神から勝利を与えられました。
 この話は、弱く小さなものを勝たせる神の話です。そして、神が味方であるゆえにダビデは恐れなくてすんだ。
それと同じように、あなたも恐れなくても良いではないか、神はあなたの味方ではないか、と語りかけられている話です。
 ダビデに勝利を与えたる神は、私たちが出会う大きな壁に押しつぶされることを願ってはおられません。
小さく弱いゆえに、壁に出会い押しつぶされそうになったとしても、神が味方でいらっしゃる。
 この確かさの中で私たちは生きています。私たちは主イエスキリストによって、すでに神の民とされているからです。

 A イスラエルの民が手も足も出せなかった、とてもかないそうにない相手を、羊飼いのダビデは倒してしまいます。
イスラエルは、ダビデの勝利によってペリシテの奴隷になることから救われました。
 このことを通して、私たちは、真の羊飼いである主イエスがもたらした救いを思い起こします。
 主イエスは、十字架の死と復活によって、ゴリアトよりも巨大な死と罪に勝利されました。
 それらは私たちには、どうしようもできない相手でした。しかし、主の勝利によって、私たちは罪と死の奴隷ではなく、
神の支配に入れられているのです。
 どんなに小さくとも、弱くとも、病の床にいたとしても、主の勝利によって神の民とされています。